20世紀から21世紀へ
19世紀に光学と科学の融合として生まれた写真技術は、印刷技術と融合することで、20世紀を画像複製技術の時代として推進した。こうした画像技術はその後に通信技術とも融合しテレビジョン技術へと発展してゆく。これらの技術は、われわれの視覚の届く範囲を可能な限り拡げてきたが、この視覚の広がりは、この社会の構造そのものにも影響を与えることとなり、世界のあり様を大きく変化させた。20世紀前半においては映画が、後半においてテレビ放送が、報道番組、ドラマ、さらに広告等を通して、われわれの世界に対する意識を大きく変えた。メディアの変化が、個々人の世界の見え方を塗り替えてしまったのだ。
これに対して、20世紀は、電子技術と数学の融合によってコンピュータをはじめとする情報技術を生み出したわけだが、この技術が21世紀に産み落とすことになるであろう世界はいまだ未知である。デジタルメディアが未来において人間にもたらすであろうさまざまな影響が大きなものであることは、誰もが予測しているし、そこに大きな可能性があることにも気づいている。それはときとしてバラ色だが、それはときとして暗黒であり、現実には、デジタルメディアは行く場所の無い不安を人々に与えている。
科学技術にはひとつの自然な指向性として、それが持つ可能性を最大化するという指向性がある。この原理に従えば、現状においてデジタルメディアの可能性を最大限引き出すことが、科学技術の役割であると言うことができるが、実際にここ20年の間に行われてきた開発は、その速度と量を拡大することが中心であった。この20年間に、本来デジタルメディアが持つ可能性は、それほど掘り起こされてはいないのである。そのために、未来はバラ色にも見えなければ暗黒にも見えず、現時点では、現実がそのまま縮小複製された世界模型が、インターネットにつながったパーソナルコンピュータという形を伴って、この目の前にあるに過ぎない。
70年代後半にコンピュータグラフィックスが出現し、80年代にパーソナルコンピューティングがはじまるのとほぼ同時にマルチメディアが叫ばれ、90年代にはインターネットにWebブラウザがのったという情報技術に関する連続した事件を、直接に目撃してきた立場としては、これらの技術的な変化に対応するより以前に、これらの技術が副次的に提供してくれていたさまざまな未来ヴィジョンに触れることが、なによりの喜びであった。これらのヴィジョンをいま一度連結してあらたなヴィジョンを紡ぐことによって、21世紀の可能性を先取りすることが必要な時期に差し掛かっているのではないだろうか。
これまで、「科学技術と芸術の融合」というタームが非常に安易に用いられてきたが、それは科学技術が無意識に作り出してしまうかもしれない不安な未来を、芸術という力で人間の世界へつなぎ止めておきたいという願望が作り出したタームなのではないだろうか。現在ある技術を、人間的で豊かな、文化的な事物に組み替えるために、芸術に過剰な期待が持たれ、同時にあらゆる技術によってこれまで不可能であった表現が可能になる、という幻想を芸術文化の状況へ植え付けてきた。しかし、いま一度原点に帰ってみるべきではないだろうか。そもそも科学も技術も、また芸術にとっても、いったいなにが活動の原理としてあったのだろうか?
世界を知る
子供の日々の仕事は、世界を知ることである。言葉を知る以前から、目に見える対象と自分との関係性をありとあらゆる手段を用いて探る。まだ歩くこともできない時期から、自分の手を目の前にあげて、開いたり閉じたりしながら、それを延々と見つめている。新聞紙を音をたてて破きはじめて、細かくなるまで徹底的にちぎってしまう。放っておくと、1時間でも2時間でも蛇口から出る水道の水に触っている。自らの全身体的な活動を通して対象を理解しようとしていることの現れである。
さらに、主に母親とのコミュニケーションを通して、子供は自分の手が届かない世界を知るようになる。子供が指し示す対象の名前を母親が話して伝えることによって、子供はその対象の名称を学ぶことができる。言葉という記号を学ぶことで、記号によって対象を指し示すことが可能になることを学ぶ。さらに事物ばかりではなく、「早い」や「怖い」などの直接の事物が実在しない概念の世界も学んでゆくことになる。
言葉の学習は、すでにある言葉という記号と対象のマッチングの作業であり、視覚や聴覚や触覚などの身体的な経験とそれを意味する言葉とを結びつけ記憶するという作業である。しかし、他方で子供たちは、記号を自由に生成してゆく能力を持っている。それは特に危機的な状況において顕著だが、言語にならない対象をなんらかの印に置き換え、それを指し示すことによって言語の代行を行わせるのである。色鉛筆を持った子供が、家の中のあらゆる対象物に、ぐちゃぐちゃと線を引きまくるのには意味があるはずである。こうした行為の中から、やがていわゆるピクトグラムと呼ばれるものが生成してくるのではないだろうか? 例えば、「?」「!」や「→」は、記述言語としては存在するが、発話できない図像であり、こうして発明され現在でも通用している稀な記号である。
また、言語にならない意味を図像記号によって伝達しているのが、マンガである。吹き出しを通したヒロインの発言と描かれた記号が意味している内容をずらすなどの手法を用いることで、ここに詩的な異化作用を発生させるわけである。こうした事例は、言語化できない事象を「言わずもがなで、理解する、理解される」を美徳とする日本文化において驚異的な発展をしたのではないだろうか。特にマンガに顕著であり、2次元平面の中で記号化したさまざまな言語がこれらのマンガを物語として豊かなものに仕立てている。
「描く」という行為にはわからないことが多い。ひとつには描画行為が言語の学習よりも描画道具を必要とすることから難易度が高いために一般化されにくいこと、また結果としての絵画は研究しやすいが、その描画過程を研究することが、これまでのメディアでは難しかったなどの問題点があったためである。しかし、描画行為の秘密を研究することは、人間が世界を知ってゆく手法と過程を調べるための新しい方法論を作り出すことになるのではないかと考える。人間の描画行為を美術芸術の中に閉じこめておくのではなく、科学の対象として扱うことはできないだろうか? こうした動機が、本研究プロジェクトを推進する前提としてあったのである。
イメージ生成の技術
ところが、研究を進めるにつれて、ここで扱おうとしている問題が20世紀に起こったイメージ複製の技術革新によって非常に複雑化してしまっていることに気づくことになった。19世紀までは、「画家」と呼ばれる存在は、社会的に存在意義も価値も高かった。イメージを物体に定着することは人間の能力にとって非常に特殊なスキルであったはずだ。それを写真の発明は壊してしまう。写真の発明によって誰でもが、簡単に対象のイメージを定着することができるようになったのだ。この発明は、直接的には画家の存在を揺さぶり、画家の存在意義がスライドした。画家の目的は、「どういった対象をどのように描く」という問題から、「描く行為そのもの」が問題にされるようになった。それは、印象派の出現やキュビズムの出現をうながし、自らの方法で世界をとらえ直すためのさまざまな模索を行わせることになった。その結果、近代が生み出した個人主義の発生とあいまって、絵画を画家個人の問題としてクローズアップさせ、現代一般的に考えられている「個的独創性としての芸術」という概念を生みだすことになる。
しかし、その後この芸術概念は非常に複雑な歴史を辿ることになる。純粋なイメージのモノ化プロセスとしての絵画ばかりではなく、商品としての絵画が辿る歴史と絵画の複製物が出版物として流通することによって、イメージの問題は新しい価値体系の中に繰り込まれて、本来の意味を考えさせることなく独自の場所を文化の中に持つようになった。「ピカソ」という言葉が、「画家としてのピカソ」ではなく、「ちょっと狂った天才」という意味に用いられるとき、ピカソの真摯で挑戦的な描画行為は、一部の専門家にしか開けることのできないブラックボックスの中に閉じこめられることになる。商品としての価値と作品としての価値が等価であるとされたことによる幻想がこうした結果を生んだわけだが、結果として描くことの意味がずれてしまい、描かれた物(商品)にしか意味が無いと考える社会が生まれてしまったのだ。それも売れる絵画にのみ意味があり、作品としての描く行為に意味を見いだせなくなってしまったのである。「絵画」と呼んだ場合に、本来の「対象をどう描いたか」をテーマにしたもの、「なぜそれを描いたか」が描かれているものから、「なぜ描くのか?」や「なぜ描かないか?」がテーマとなった作品が生まれ、「生きるために描く」が「売るために描く」にすり替えられた作品までもが流通すると、それを見抜くことができなければ、話題の作品、よく売れる作品が、すばらしい作品であると考えてしまうのは自然のなりゆきであろう。これでは「イメージ」の問題は解けなくなってしまう。
絵画を中心課題として取り組むアーティスト以外に、写真や印刷物や映像を果敢に表現の素材として取りこんでゆこうとする芸術的な動向が無かったわけではない。むしろ、密かに盛んであったというべきであるが、商品としての芸術が優先されてきたために、これらの先端的なアプローチは長く隅に追いやられてきた。例えば、いまとなっては当たり前のように、美術館やギャラリーで写真を目にするようになったが、写真を美術館が扱うようになったのは、なんと80年代に入ってからなのである。写真を撮影するという行為を主体的にとらえて、対象に向かって一歩近づいたところからシャッターを切った勇気ある先端的な芸術家は、まず戦争写真家だった。そこには戦場での出来事が写っているが、結果としてそれを撮影した人物がそこにいたということが写真によって証明されるときに、はじめて写真の内容を越えた出来事が見る者の側に立ち上がってくることになる。こうした読み取りのリテラシー、こうした価値観が、理解されるためには、その技術の発明から実に150年ほどかかったことになる。






