研究実施概要

科学技術系研究者と芸術系表現者が互いに刺激し合いながらコラボレーションできる場を作り上げることが、本研究のねらいであった。当初の計画では、視覚芸術全般を扱うことを目指してはじめたが、数ヶ月間にわたって様々な形の会合を開き、特に東京藝術大学の教育研究の現場を観察してもらうことなどを通じ、互いの興味が重なり合う部分を模索し、結果的に「なぜ人間は絵を描くのか?」をテーマとした。

ここで絵画に注目したのは、技法と科学とが直接的な関係を持っていた時代の絵画を先行事例として参照することにより、そこに盛り込まれた技術、技法、技巧を現代の視点から分析することが可能であり、その点において科学技術系、工学系と芸術表現系、それぞれの研究者とのコラボレーションが可能であると考えた。工学と芸術の接点を探し出すことで、デジタルメディアが視覚芸術に及ぼす影響、変化をいち早く実現し、そのターニングポイントをリードすることが、本研究の美術芸術分野に対するねらいであり、貢献であると考えたことによる。

このリサーチに3年かけ、平成18年度からは、この問いかけを各研究室で深化させ、「『描く』を科学する」というアプローチへ歩を進めた。こうして、人間の描画行為を、ロボットやシミュレータを用いて模倣することによって人間の創造性を探る方向性が本格化した。

東京藝術大学と東京大学では、池内研究室が保有するロボットに絵を描かせることを通して、人間が絵を描く過程を知るというアプローチで研究を進めた。

東京工業大学とのコラボレーションでは、東京藝術大学の佐藤一郎研究室が持つ油絵具の分析データ等をもとに、技法材料の特質をコンピュータ上でアルゴリズム化したある種のペイント・ソフトウエアを開発することを目標とした。

埼玉大学(当時)の近藤研究室では、絵画の構図等についての研究を脳内のイメージ理解についてのスキームを利用して展開した。この研究は東京大学の構図研究にも引き継がれていった。

研究を通じて、画家の知見を言語化して他分野の研究者に伝える必要があり、平成18年度から近畿大学の岡崎研究室にも本研究への参加を依頼した。岡崎乾二郎は、表現の背後にある歴史や理論に詳しく、また自身が作家であるために、非常に重要な知見を提供してもらうことができた。

東京藝術大学と東京大学の研究成果としては、ロボットによる描画行為をまとめた論文が、国際的なジャーナルで認められたことが挙げられる*。個々の要素技術としてではなく、システム全体のコンセプトが、ロボット工学に貢献するものとして評価を得た。また、芸術の歴史を「人間像をいかに表象してきたか」という視点で捉え直すことにより、人間の表象を模倣するロボット工学の研究へのアプローチとした。アート&テクノロジーの融合領域としての新しい研究パラダイムの主張は、「ヒューマノイドはヒューマンになれるか?」(未来館)、「Art and Robots」(IROS2007、2008)の開催により、国内外の研究者から多くの反響を得ることができた(2010年春、東京大学出版会から書籍化予定)。

東京工業大学との研究では、油画描画シミュレータの開発を実現し、2010年に東京芸術大学美術館において「デジタル・オイル・ペインティング展」として一般公開するにいたり、大きな反響をよんだ(朝日新聞、東京新聞の記事参照)。描画画材としても画期的な新境地を開くこととなった。

科学技術と芸術の融合が言われて久しいが、その成功例はほとんど皆無に等しい。その中で、描画という行為が科学者にとっても工学者にとっても非常に重要な思考の基盤として共有されたことで、本研究は科学技術と芸術の両分野の橋渡しとして大きく機能したことを成果と考えている。

*Shunsuke Kudoh, Koichi Ogawara, Miti Ruchanurucks, Katsushi Ikeuchi, "Painting robot with multi-fingered hands and stereo vision", Robotics and Autonomous Systems, 57, pp. 279-288, 2009.

(文責:松井茂 2010年3月31日)