
ロボット研究は科学技術だけでなく芸術とも深く関わる

── ロボットをどのように定義しますか?
外見の研究は芸術の分野からも多くのヒントを得ています。確かに機能の模倣はロボット研究者の仕事ですが、外見そのものや見た目の動きの研究は、芸術を無視することができません。
工場の中で人間関係が無く働いているロボットのパフォーマンスの問題ならば、速度や精度だけですが、人と関わるヒューマノイド、特に日常生活の中に存在するロボットのパフォーマンスを問題にしたときに外見の模倣の問題が出てきます。その評価基準は、人間の側にあるわけですから、人間が「良い」と言わないとダメなことになります。もうこの時点で芸術とほとんど同じ評価基準になっていると思うんです。だからロボットの研究者が人間と関わる機能をちゃんと考えるという領域は、ある意味芸術の領域であり、私は、技術とはアートにいかに再現性を持たせるかという作業をしていると考えます。だから研究のヒントはアートにある。アートが先にあるわけです。
例えば、ロボットクリエーターの高橋智隆氏のデザインは理屈ではありません。ロボットをつくって「いいでしょう」と言って持ってくるわけです。それがなぜいいか? それを私達が調べるわけです。調べて理屈が分かってくると、そこに設計の方法論ができる。アートから技術になるわけです。
過去の歴史も全部そうだと思います。アートとして生まれ、アートで終わったものはないし、アートなしに生まれた技術もない。ダ・ヴィンチの世界は全部そうじゃないですか。「いい絵を描きたい」と言って人間を解剖するのは正しい姿ですよ。「いいアートをやりたいからロボットを研究する」という割り切りで芸術をやる人がそろそろ出てきてもいいかもしれないですね。
── ロボットの評価基準とは具体的にどういうことなんでしょうか?
それが難しい。例えば、モーションキャプチャをつけて、どういう反応が出るかとか、目がどう動くかとか、脳のどこが反応しているかとか、できるだけ客観的な指標で良し悪しを言えるようにしようとしていますが、そこにはまだまだ難しい問題があります。
いままでは、ありもしない人間とロボットの関係を無理矢理つくり出して評価しているようなところがあったので、ヒューマン・ロボット・インタラクションといっても、無理矢理つくり出した世界で、実験のための実験になっている部分が多かった。正しい評価のためには、いきなり人にロボットを見せるのでなく、インタラクションそのものをデザインして見せるべきで、要するにロボットの使い方をちゃんと見せないと評価してもらえないでしょうね。
いま演出家の平田オリザさんと一緒に研究をしているのですが、平田さんの劇を観ていると、狭い劇場で、何百人かが取り囲んでいて舞台にはすごい迫力がある。あそこだったらロボットと人間のインタラクションをちゃんと描けるんじゃないかと思っています。
── インタラクションに関してこれまではどのような研究をしていますか?
うまくいくインタラクションというものがそもそも分からないわけです。「言葉だけでいいのか?」「身振り手振り、見かけがどれだけ重要なのか?」それが分からないので、情報提供ロボットをつくって、実際に駅で情報提供をして、被験者にアンケート調査をしました。そういったフィールド実験のアンケートを集計して、実験に含まれていたいろいろな要素を調べたわけです。
そこから分かってきたことがいくつかあって、そのひとつにロボットは常に動いていなければならないということがあります。止まった瞬間に死体になる。人間はそこに非常に敏感で、周囲に人がいなくても絶対に止めてはいけないんです。では何もしていないときの、自然で人間らしい動きをどうつくれるのか? つくってみるとどこか違う。精神科の医者に動きを見せると、「脳障害だ」とか言うわけです。それで運動系の病気を調べると、脳がどのように動きをつくり出しているのかはすでに調べられているので、大脳や脊髄にあるCPG(セントラルパターンジェネレータ)が動きを作っているという。それをヒントにすると、それなりに人間らしく動くようになりました。その他にも、人間らしさをつくるのには、目の動きがとても大きな影響を与えています。
こういった要素はたくさんあります。無論それらすべてを備えたのがアンドロイドであったり、ヒューマノイドだったりするのですが、一方でそれらの中から重要な要素を幾つか拾い上げれば、完全なアンドロイドやヒューマノイドロボットを作らなくてもいいのではないかとも思っています。例えば、単調な運動の揺れ方をちょっと変えるだけで、生物っぽくなったりするわけですから。
── しかし先生はアンドロイドで研究されていますね。
これまでは人間と関わる機械のデザインは全部デザイナーがしていました。動きも含めてです。つまりこの分野に設計論が欠けているわけです。だから私の研究では、設計論に使える要素をひとつずつ取り出そうとしていて、要素を取り出すときには、できるだけ統制した実験材料を持っておきたいと思っています。すると「見かけが違うからそうなっているんだろう」と言われることがあるので、できるだけストレートに人間と比較して知見を取り出したいと考えています。それで徹底してアンドロイドを人間に似せているわけです。
── 親しみ(生命)を感じる条件とはどういうことだと思いますか?
目の動きや身体の動きと、「間」でしょうね。だから次のテーマは「間」なんです。特に平田オリザさんがつくる「間」は、いまのところプログラムしようがない絶妙なものです。これをなんとかプログラムしてやろうと思っています。
例えば、いまの音声案内が無機質なのは、こういう「間」をとれないからでしょう。相手を機械と思ってしまう大きな要因もそこにあって、「間」の取り方が絶妙だったら、自動販売機の中にもしかしたらお婆ちゃんがいるように思わせることだってできるかもしれない。いまはお金を入れて出てくるまでの間、機械の都合でピコピコ光ったり、金額表示されるだけでしょう。それを「間」の取り方を含めて、人間が親和性を感じるデザインにして、ロボットっぽい見かけをつければ、それで人間らしいものになると思うんです。こういうところがまだ研究できていないし、インターフェイスにはほとんど理屈がない。多くの研究テーマが残された分野だと思います。
── ロボットを通じて人間をどう考えていますか?
ロボットという名前のついた人間という可能性もあるわけですよね。大体人間とは何か? という定義がまだ分からない。私は人間というものは外見だけでもないし、中身でもないと思っています。要するに人間社会の中で、内面的に人間だと信じられるようなものになればそれは十分人間です。
人間のいちばん難しいところは、いま、私が意識や感情を持っていると思いますね。こういうことが相互にあって人間社会が形成されていることです。さらに、どうして相手が意識を持っているとか、感情を持っているとか信じることができるのか? 子供にとってはお人形さんだって人間です。人間の能力を絶対的に定義したいと思うけれども、世代も健康状態も違う様々なレベルの人間がいるわけです。だから人間の定義は医学的にもできないはずなのに、多くの人は人間にミステリーやロマンを求めます。ロボットに対しても、「もっと人間は賢い」とか「感情的だ」とか言うわけですね。
しかし、次のようなこともあるわけです。人間の動作を完璧に認識しているロボットがあって、触れられたら触れられたところを見るし、触れられていないときは相手の顔を見ることができるんです。賢いロボットにも思えるのですが、実際に接すると犬みたいで、人間には思えないんです。つまり完璧な認識を持つと人間に思えない。全部ランダムにすると今度はおかしな人になってしまう。動かないと死体になってしまう。実は、大体90%くらい認識して、約10%でたらめに動くと、ちょうど知性を感じられるようになるんです。
大体私たちは、どこかで誰かに聞いてきたようなことしかしゃべってないわけで、時々すこしでたらめなことを言ってみると、「何かこの人は考えている」とか、「賢い」とか言われたりする(笑)。そういうものですよね。さらに、このロボットで完全に相手の動きを模倣することができるわけですが、これを完璧にすると鏡になってしまう。それで模倣をすこし遅れさせたりして、でたらめさ加減を10〜20%入れると人間はコミュニケーションしているみたいに感じてしまうわけです。
──「Geminoid(ジェミノイド)」についてお話しください。
このロボットを通じて遠隔操作をして対話したりしています。私の口と同期するので、5分位でみんな普通に接してくれますね。存在感など人の本質に関わる研究を目的に使っているのですが、面白いのは、誰が操作するといちばん似ているのかということです。私自身は私の動きを見ていないから知らない。だから普段一緒にいる学生が操作するのがいちばん似ている。みんなが「似ている」と言うんですが、自分に対する自分の認識と、自分に対する他人の認識にはずいぶんギャップがあるということに気づきました。思うに、人間は70%くらいしか自分のことは分かってないのだと思います。
それにしても、みんな無意識に相当変なことしているんですよ。自分の全部を分かってないのは単におかしい人ですが、微妙なバランスで70%くらいしか分かってないということで、人間社会がうまく構成されているのではないかと思います。もし完璧に自分が理解できたらおかしなことをしていると思って、うまく動けないはずです。気づいてないから幸せなんです。そのあたりが人間や人間社会のいちばん不思議なところですね。
(2008年6月6日 石黒研究室にて)







