[Interview]
油絵・油絵具の構造を捉える 「描く」ことで世界が「見える」
佐藤一郎
東京藝術大学教授

油絵の構造

油絵具の特性のひとつに、不透明な絵具の上に透明な絵具を重ねて描けるという点が挙げられます。油絵具以前に使用されていた絵具はすべて、例えばテンペラ絵具は不透明な絵具であり、油絵具によってのみ透明色を重ねる技法が可能になったわけです。この技法では、上層から下層が透けて見えるという特徴があります。こうした油絵の構造は物質的特徴にとどまらず、人間がまさに視覚によって世界を捉え、3次元から2次元へ移し替えて描く、一連の知覚構造にも重ね合わせることができるのではないでしょうか。参考として「色を見る」ということに関する、アリストテレスによる一節を紹介したいと思います。

「人が色を持つものを視覚器官そのものの上におくなら、彼は見ないだろう。実際色は透明なもの、例えば空気を動かしはするが、その感覚器官が動かされるのはこの空気によってである。それは空気が[感覚に達するまで]連続的なものだからである」。

「見られる色そのものから作用を受けることは不可能である。従って残るところは中間のもの[媒材]によって作用を受けるということである、だから何かが中間になくてはならないということになる」。

つまり、私たちは対象の色を見るという時、目に色が張りつくように直接見ているわけではありません。対象から目までの間にある距離が必要で、現実には空気が存在していることによって対象の色を知覚できるわけです。対象と目の中間に存在するものを、アリストテレスは媒材、すなわち透明な「メディア」(単数形は「ミディアム」)と名指したのです。アリストテレスに代表されるギリシア哲学の世界観は、ルネサンス期に導入されたわけですから、油絵技法と表現の確立期においても多大な影響を及ぼしたものと考えられます。物自体を模倣・再現するのみならず、透明な「ミディアム」を含む空間までも注視し、「ものを見る構造」そのものを描き出そうという意識の働きは、油絵具の備えている表現の潜在性とも親和性の高いものであったのではないでしょうか。

このような観点から、現代のいわゆる写真やテレビ、ビデオとなどによって感じ取れる視覚世界を、ある意味でさらに先取りする形で、油絵の構造を捉えることもできるのではないでしょうか。それを敷衍する形で、デジタルの油絵具のシミュレータがソフトウエアとして開発されるならば、非常に画期的なことではないかと考えたわけです。

OPS:油画描画シミュレータ研究の経緯

ソフトウエア開発の人々に、物質(マテリアル)としての道具、材料を、制作者になりきって実地に体験してもらうと同時に、自分の目でものを見る行為と描く行為がどのように脳とつながって一体化して表現しているかということを体験してもらうことが、非常に大事なことではないかと考えました。

まずは1本の線を引くための道具、鉛筆を使ってもらおうと。鉛筆を使うということであっても、それはナイフで鉛筆の芯を削り出さなきゃいけない。実際、そこから教えて、今度は、モデルをモチーフとして、スケッチブックを用意して、鉛筆で、見ながら描く。熟練者は、1本の線を引いたらそれを見て、これを基軸に次はどうなるかと考えるなど、常に見ることと描くことを一体化させながら、描いていくわけです。ところが、初心者は、1度見ると、自分はすべて見たという気持ちになって、あとはもうスケッチブックの画面しか見ないのですね。それでは「見る」ことにならない。記憶で描いているに過ぎない。とにかくデッサン。つまり「見る」ことをどのように線で表現するのか、その理解を促すことから始まったわけです。

次に油絵具を用い、遠近法や、明暗法、そういう一つひとつのリアリズム絵画の手法を実践しました。形を正確にとる、遠近感をとる。それから明暗をつけて立体感、空間をどのように出すか。絵具をどのようにつけるかなど2、3回続けたのですが、徐々に理解をして1枚の絵を作ることができるようになりました。やはりそういう経験があって、物質としての油絵具というものがどのような質感(クオリティ)を持っているのかということを、拙いながらもかなり理解していただけたことに意義があったと思います。

油絵具の構造

油絵具というのは顔料と媒剤(メディウム)、つまり色の基を成す物質とそれ同士をつなぐ流動性のあるドロッとした物質でできています。油絵具はある一定期間経つと、流体から固体へ変化するという特性があり、いわば接着剤のようなものです。顔料と媒剤、それぞれの物質(マテリアル)としての特性を理解してもらう必要がありました。

そのために、例えば、屈折率や、入射光線がどのように物質に入ってそれが吸収・反射され、あるいは透過していくのかという物理的な現象を考慮しました。そして、それぞれの数値がどういうもので、どのように油絵具の透明性・不透明性に直結するのかを東京工業大学の齋藤先生たちと話しました。

それから混色。混ぜ合わせる場合と、層状に重ねていくやり方がありますが、どちらかというと油絵の本来は、不透明な対象物を描いて、そこに透明な物質が少し入っているというものです。油絵具という透明な絵具を使って、目と対象との間にある透明なミディアムの存在を表現するわけです。油絵を描く時、実際には対象までの距離があるのですが、その見ることの構造をギューッと圧縮して、重層構造として描くことの構造に置きかえるという特徴がある、という立場を取っています。ですから、油絵具の透明性と不透明性の相対関係を大事にして欲しいと伝えました。

次に、油絵具の乾燥速度があります。いったん色を塗って、すぐに絵具を重ねれば、乾いていませんから混じり合うわけです。乾いてしまうと今度はいくらこの絵具を塗ってもここは全然動かない。固まっている。そういう特性があって、絵描きは、時間差によって様々なテクニック、絵画技術を使って、絵を仕上げているわけです。それをちゃんと考慮したソフトウエアを設計してもらうということを、随分とお話ししました。

あとは道具である筆。筆先の毛の弾力性や太さ、筆触に関して。筆の毛に絵具が付くのは毛細管現象によるものですが、筆が画面と触れあったときに、どのようなかたちで絵具が付いていくのか、そうした接触面の物理学が必要です。しかも微妙な弾力があるわけですから、筆の開発もかなり大変だったと思います。最初は細い線を引こうと思っても引けなかったわけですが、だんだん精度が上がってきて、使えるようにはなってきています。例えばファン・ゴッホなどを模写したりできるところまでは一応きています。展示にあわせて《モナ・リザ》を模写させていますが、これはどう仕上がるでしょうか。

東工大の齋藤先生の頑張りは凄いものがあって、私たちがホルベイン工業株式会社と開発した「油一/YUICHI」の物性に限りなく近づけようという挑戦を始めています。そのために「油一/YUICHI」の特性を、工学的に完璧な数値として出そうとしています。私は、ちょっとした誤差ぐらい出たって、おおよそ合っていればいいんじゃないか。予測して作ればいいのではないか、と思うわけですが、齋藤先生は非常に厳密で、実験装置の作り方にしてもいまさらながら驚いています。

新しい可能性

コンピュータ上で油絵具という物質(マテリアル)を操作できるということが、このソフトウエアの特徴です。今までのソフトウエアでは、目に感じられる色を再現すればことがすんでいたのではないでしょうか。ところが、人間の欲望というのはそこに留まらないわけです。やはりコンピュータの中であっても、実際の物質をいじくり回して「描く」ということは非常に魅力があって、のめり込めるということがあるのではないでしょうか。

現在は液晶のモニタに画像を再現しているわけですが、今後はモニタだけでなく印刷物といったらいいのかよくわかりませんが、物質としてアウトプットされたときに、非常に厚塗りされているとか、色の層が重なっているとか、そういう状態が物理的に実現するとよいと思っています。

このシミュレータを通じて、単に油絵を模倣したということ以上に、一般の人達に、物質としての色彩というものが、いかに人間の感性に訴えかけるものかということの楽しみや理解を促進してくれるのではないかと期待を持っています。

(2009年11月26日インタビュー。「デジタル・オイル・ペインティング展」2010年1月5日刊)