[Interview]
デジタル・メディアの創造性を探る 新しい油絵具の設計
齋藤 豪
東京工業大学准教授

OPS:油画描画シミュレータ研究の経緯

これまで私が研究してきたのは、コンピュータ・グラフィックスの分野の中のNPR(Non-Photorealistic Rendering)と呼ばれるものです。いわゆる写実的な、ハリウッド映画等によく出てくるような、実写との合成に向いたCGではなくて、絵画であるとか、人間が描いたものをコンピュータ上で作りたいという研究です。ひとつの流れは、写真や映像を入力して、それを画像変換することによって絵画調にしようというもの。もうひとつは画材をシミュレートするというものがあります。私は両方をやってきましたが、CRESTのプロジェクトでは、画材の研究者や画家と一緒に研究をできる環境があったので、特に画材のシミュレーションをすることになりました。

これまでの研究では、開発したソフトウエアを使ってもらう人を特定できていなかったのですが、今回は実際に描く人たちがどのような画材を求めているのかというところに踏み込むことができたので、その上で使い易いものを提供しようと考えていました。また、コンピュータで描く作業ができるようになると、作業過程がデータとして蓄積できるので、今後の新しい研究につながるのではないかという期待もありました。

既存のペイントソフトとの相違

絵を描く道具を設計するには、現在のコンピュータの能力でも正直なところまだまだ足りません。ですから既存のペイントソフトは、基本的にコンピュータの限られた能力の中で、何らかの描く環境を提供しようという立場で設計されています。例えば、画像の表示や加工において三原色による加法混色で十分な結果が得られるのであれば、計算量も少なく、実用化されていますが、「絵具をきちんと計算しましょう」「絵具の持っている素材感を提供しましょう」ということになるとなかなか大変な問題になります。私たちはそこに取り組んできました。

既存のソフトウエアといちばん違うところは、従来の場合、色を表現するのに最低限3つのデータがあれば良いのですが、今回の私たちのシミュレータでは、1色のうちの1画素を発色するのにも非常に多くのデータを使っています。発色だけでなく、油絵具の場合は、粘り気であるとかサラサラしているとかツヤがあるとかいう要素もあって、そこまで含めると1画素が持っているデータ量は、従来のペイントソフトとは比べものになりません。だから描いた結果が、描く人によって変わるというような環境が提供できているのだと思います。

油画描画シミュレータの特徴

特に今回は、佐藤一郎先生の研究室と一緒に開発を進め、油絵具について勉強させていただきつつ制作してきましたが、基本的には絵具というものは、顔料とメディウムを混ぜて、練って作るものです。その時に、顔料なら顔料の、メディウムならメディウムの、力学的な光学的な特性があります。それらは実際の物理法則に従っているわけですから、いろいろな組み合わせを考えて、画家は絵具を作っているのだと思います。しかし、私たちはコンピュータ上で新しい絵具を作ろうと思ったときには、完全に物理法則を模倣しているわけではありません。ある意味、物理法則を逸脱してもそれらしさが出て、より使いやすい、あるいはコントロールしやすいものであるとか、実際には物理的な制約上作れないような絵具も設計できるように考えています。

ただしそうは言っても、自由度が高すぎて逆に使いこなしづらい場合もあるわけで、実際に「どのような特性が絵具に求められているのか」を知ることに関心がありました。おそらくコンピュータ上で「何でもできる」といっても、ある程度の制約は必要で、その制約が何なのか。実際の絵具が持っている制約に、画家はきっと助けられて描いているでしょうし、一方でその制約が使いづらさを含んでいる側面もあるかもしれない。工学的に道具を提供する立場として、これらに関して知りたかったわけです。

今回のプロジェクトの中で、絵具に必要なパラメータはいったい何なのかということがだんだん見えてきました。例えば、従来のメディウムならば、揮発油、乾性油、樹脂などを組み合わせてある絵具の特性を出しているわけですが、その裏に隠れている実現したいパラメータとは何なのかをまず考えて設計します。それを画家に提供して使ってもらった上で改良していくトライ&エラーを繰り返し、より使い勝手のよい、実際にあったらいいという絵具の特徴というものを、見つけつつあると考えています。

例えばメディウムは、それぞれに粘性などの力学的特性を持つ一方で固有の屈折率を持っています。ですからある力学的な特性を調整しようとすると、他の光学的な特性なども変わってしまうことが起こり得るわけですが、コンピュータの場合には、ある特性を独立したパラメータとして用意して、他のところは変えないということもできるため、希望に応じた特性の絵具を作ることができます。もっと言ってしまうと、着色力、隠蔽力、色の特性は相互関係があるのですが、それらの関係を断ち切ってパラメータを用意すると実際には存在しない極端な特徴を持つ絵具を作ることも可能なわけです。そこで、ひとつのストロークの頭色と足色が、厚みのグラデーションで変化する絵具を設計できる仕組みを用意しました。つまり、画家の求めている顔料やメディウムまでも設計することができるようになっているところがいいところだと考えています。

技法材料研究室とのコラボレーションについて

異文化交流でしたが、今まで経験した中では、円滑な方だったと思います。それは間違いなく佐藤一郎先生が、私にとってわかりやすい言葉というか、工学的に厳密な言葉を利用してやってこられていたということがあります。そういう意味では、私には理解しやすかった。そこが今回のプロジェクトで一緒にやってうまくいったところの根底にあったと思います。よくおつき合いしていただいたという感じです。

「油一/YUICHI」という佐藤先生がホルベイン工業株式会社と開発された油絵具の特性が、従来の古典的な製造方法に則っているということに関して、佐藤先生は技法材料研究と表現者の立場から評価をされたわけですが、この知見を、私たちの立場から違ったかたちで数値化するということを進めています。将来的にはそれをシミュレータの方に、データとして活かして、コンピュータの中に新しい入口を作り出そうと考えています。

ソフトウエアの現状と今後の展望

この5年間の研究で、画家の要求、仕様がかなり明確に理解できました。それが私たちにはいちばんの成果で、クオリティを上げることに関しては、おおよその上げ方はわかったと考えています。そういう意味では、繰り返しになりますが、現在のコンピュータの処理能力の問題で、現状では、我々の設計するシミュレータにはまだ足りないということもでてきます。

今後は、実際にいろいろと使ってもらいながら改良を重ねる段階になってきていると考えています。基盤的な部分、ソフトウエアの根幹に関わる部分の設計は、かなりいい成果が出ていると考えています。

デジタルの特性を活かす

アナログとデジタルというのは、「連続」と「不連続」の話で、人間は「不連続」をかなり高精度に見つけ出す視覚特性を持っているので、デジタルは基本的にはアナログに対して弱いんですよね。色の階調に関しても、デジタルにしてしまったことによって、結局明度や彩度や色相に対する分解能が低くなってしまったりということがあります。とはいえ、コンピュータの中で数値の扱い方はいろいろあるので、例えば、実数で扱うことによって、かなり緻密にデータを扱うことはできるわけです。ただし、計算コストはかかる。そこのあたりをうまく切り分けて、問題を扱う必要があります。現在の出力装置では解像度が低く色の階調性が低いとしても、将来出てくるような出力装置では、より階調が細かくなる場合もあるわけで、それに対応できるかたちでコンピュータの中のデータ構造をしっかり設計しておければよいと考えています。

また「記録する」という観点では、コンピュータの場合、データが消えなければ劣化することはないので、保存という意味では圧倒的に強い。だから現在の人と、未来の人がコラボレーションすることもできるわけで、そういった意味ではコンピュータが持っているデジタルの魅力があるわけです。しかも、線の1本1本に関しても、今まであるシステムに比べて、かなり多くのデータを使って実現しているので、そのデータのすべてが残っているということは、未来の人や画家自身が、後に二次利用することができるはずです。コンピュータ、あるいはデジタルのメリットを創造性として活かせる可能性を考えています。

(2009年11月25日インタビュー。「デジタル・オイル・ペインティング展」2010年1月5日刊)